日本の絵画は、中国から伝わった技法の影響下に成長しました。奈良時代(710〜784)から平安時代(794〜1185)には徐々に日本的な絵画の特質が現れ始め、大和絵として確立しました。鎌倉時代(1185〜1333)にはやはり中国から水墨画が伝わり、室町時代(1392〜1573)に日本独自のものが完成します。江戸時代(1603〜1867)には浮世絵が誕生しました。狭義で日本画と呼ばれるものは、伝統的な材質、技法、形式で作られた絵画で、絹布や和紙などの上に、墨や岩絵の具などの顔料を使って筆やはけで描きます。画面にはふすまや屏風、色紙などが用いられるほか、絵巻の形でも描かれ、その大きさも形式もさまざまです。
水墨画は墨を使って描く絵画です。墨の濃淡や描線の強弱、ぼかしといった手法を特徴とするもので、描く紙の品質によっても雰囲気が変わってきます。 鎌倉時代(1185〜1333)に中国からもたらされた後、室町時代(1392〜1573)に最も栄えました。当初は禅宗にちなんだ宗教画が多かったのですが、15世紀ごろになると風景や花鳥などの画題が扱われるようになりました。 日本における水墨画は雪舟という画僧によって大成されました。彼は本場中国で水墨画の画法を学んだ後、独自の画風を作り上げたのです。
浮世絵は江戸時代(1603〜1867)に発達した絵画で、その多くは版画として普及しました。17世紀後半、菱川師宣が木版画を1枚の絵として独立させたのが初めとされています。当初は墨1色でしたが、18世紀中ごろには多色刷りの技法が鈴木春信によって開発されました。 浮世絵の画題には美女や役者、力士など人物のほか、風景や庶民の生活状況なども使われました。中でも喜多川歌麿による美人画や東洲斎写楽による歌舞伎役者の絵、葛飾北斎の風景画などが有名です。また、浮世絵の画法はゴッホなどのフランス印象派に影響を与えたことでも知られています。
土で器を作り、うわ薬を塗って焼いたものを陶器といい、光の透過性はありません。一方、磁器は硬度が高く、光の透過性があります。これらを総称して陶磁器といいます。 日本の陶磁器は実用に使われるだけでなく、鑑賞用として芸術性の高い作品が多くあります。華道や茶道において花器や茶碗など器そのものの鑑賞も重要視されてきたためそれが陶磁器のいっそうの発展に結び付いてきたのです。 陶磁器のことを、「瀬戸物」とも呼びますが、これは有名な産地である愛知県瀬戸市の名前からきています。代表的な陶器には滋賀の信楽焼、岡山の備前焼があり、磁器では佐賀県の伊万里焼、石川の九谷焼が有名です。
漆器は漆を塗った工芸品で、東南アジア一帯で2千数百年前から使われてきました。ウルシの木の樹液を濃縮した塗料に顔料を混ぜたものを、竹や木や布の素材に塗って作ります。日本では仏教が伝来した6世紀に唐文化の影響を強く受け、漆器作りの技術が飛躍的に向上しました。その後も家具や食器として生活の中で幅広く使われ、やがて美術工芸品としての漆器も作られるようになります。15〜16世紀にはポルトガルやオランダとの貿易でヨーロッパに広く紹介されたため、漆器は英語で「ジャパン」と呼ばれるのです。漆器の特長は湿気や熱に強く、耐久性に優れていることです。現在も輪島塗や会津塗などが作られています。
華道は、16世紀ごろから盛んになった日本の伝統的な芸術の1つです。生け花とも呼ばれ、6世紀に仏教の僧が仏前に花を捧げたのがその起源だといわれています。自然の花を使って天(宇宙)、地(地球)、人の3要素をバランスよく表現する、という考え方が基本です。広口で平たい花器に水を張り、金属板にたくさんの太い針が上向きに並んだ剣山で花を固定し、盛り上げるように花を生ける、という様式が一般的です。はさみで長短をつけたり、葉の形を修正したり、手で反りを加えたりして、自然の美や心情を表現するのです。現代では芸術の1ジャンルとして、植物を使わない前衛的な生け花も行われています。
茶道は、来客の際の茶の入れ方や飲み方の伝統的な作法で、茶の湯ともいわれます。茶道では抹茶といって、日常飲む煎茶とは違うものを主に使用します。茶碗に粉末の抹茶を入れ、湯を注いで茶せんでかき混ぜ、泡立てて飲みます。 16世紀に千利休がわび、さびといわれる簡素な趣や「一期一会」の心を取り入れ、茶道を大成しました。「一期一会」とは一生にただ1度の出会いという意味で、主人は出会いを大切にするために、床の間に飾る掛け軸や花、茶碗などの道具を心を込めて用意します。一方、客はそれらのものから主人のもてなしの心を思い、感謝の気持ちを持つのです。
書道は毛筆と墨で文字を書く芸術で、精神的な深みや美しさが表されます。もともと中国から伝わったものですが、日本では表意文字の漢字に加え、日本で発明された表音文字の仮名を組み合わせて独特の文字芸術を作り上げてきました。毛筆は墨を含ませれば、ペンと違って文字の太さや濃淡を自由に調整できます。そのため書く人の精神や観念が表現できるのです。書体は標準的な楷書のほか、やや崩した行書、さらに崩した草書などに書き分けることができます。年賀状などを除いては、ふだんはあまり毛筆で文字を書くことはありませんが、小学校の授業には書道が取り入れられています。
俳句は5・7・5の17音で構成される定型詩です。5・7・5と7・7を交互に繰り返す連歌の、最初の5・7・5の部分から派生したもので、江戸時代(1603〜1867)に松尾芭蕉が現在の形に確立させました。俳句という呼称が一般に広まったのは、明治時代(1868〜1912)に正岡子規が活躍するようになってからのことです。短い形式の中で自然の美や人の心の中を表現することができるため、現在では世界的な広がりを見せ、アメリカでは教育にも取り入れられています。本来の俳句には、季節を表わす季語が詠み込まれます。季語によって、その語の背景にあるものが連想され、わずか17音の中で句に広がりと深みが出てくるのです。
短歌は、5・7・5・7・7の5句31音で構成された短い叙情詩で、前半の5・7・5と後半の7・7の2部構成です。8世紀に編まれた日本最古の歌集『万葉集』にも、すでにこの形式で詠まれているものが多く見られます。 『古今和歌集』の序文には「大和歌は人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける」とあります。単純な形式で喜怒哀楽を表現するには、言外に感じられる余情を含まなければならないのが特徴であり、また欠かせない要素です。文字には表されていない余情や、深い趣を連想させることができるのが、優れた短歌の条件の1つであるともいえるでしょう。現代にも多くの愛好者がいます。